「オウム」は再び現れるby島田裕巳@中公新書ラクレ

  • 2018.12.15 Saturday
  • 08:22

 本の帯には、「信念なき「普通の人」たちが 凶悪事件の犯人になった理由」

 

JUGEMテーマ:最近読んだ本

 

 オウムの復活云々よりも、オウム真理教を改めて初期から振り返ってみて、問題点を探る内容だ。そして最後に、オウム真理教の復活について論じている。

 もっとも、島田氏の結論はタイトルとは逆に、復活には否定的で、『(経済が)上昇に転じたとき、社会が活性化し、そこに新しい宗教が生まれるかもしれない(P.204)』と結んでいる。

 

 自分は、むしろこの「結び」の後が印象に残った。

 「あとがき」にこんな言葉がある。『宗教と言えば、多くの人たちにとっては遠い存在だろう。だが、それを自分たちが所属している何らかの組織に置き換えてみるならば、決して人ごととは言えない。それは、最近世間を騒がせた日大アメリカンフットボール部の悪質タックル事件を考えてみればいいかもしいれない。(P.219)』

 そして、「あとがき」の前にある「終わりに」で、真島さんの修行中死亡事件を隠蔽したことに始まり、それを知っている田口さんが殺され、坂本弁護士一家が… 『自分がそうした状況におかれたとき、どう行動するのか(P.217)』

 

 なぜ「普通の人」「いい人たち」が大量殺人を決行するのか。

 オウム真理教に関心を持つ人は、「オウム信者は良い人」「善意の殺人」の類の言葉を、飽きるほど聞いてきた。しかし、じゃあ何で善意の人が殺人をするのか。それに対する説明に説得力がない。

 本当にサマナ達は善意でサリンを撒いたのか。そうならば、サリン犯たちは「さあ、これから迷える衆生をポアするぞ!」とルンルン気分で地下鉄で傘をツンツンと突き刺して、際限なく効率的にポアしたたはずである。しかし、そうでなかったことは既に明らかである。実行犯は明らかに「これは単なる殺人である」と迷いながら、結局、全員もれなく、サリン袋に傘を突き刺した。

 

 組織の人間は、案外と「そんなもの」なのだ。宗教的師弟関係のない日大アメリカンフットボール部だって、監督に「試合に出さないぞ」と言われれば、ヴァジジラヤーナヲあっさりと実践したではないか。

 みなさんの職場だって学校だって、気に入らない部下を上司が騙してとんでもないことをやらせて、失脚させて自分は涼しい顔とか、教師もグルになっていじめに加担して、いじめの犠牲者がその後まっとうな人生を送れなくても、同窓会でみんなでゲラゲラ笑ってるとか、普通に「ある話」だろう。

 ミニサリンは、世界で毎日のように撒かれている。

 

 「人間はそんなもん」と悟り、被害者にならないように立ち回り、加害者サイドになった際には、被害者は自殺しない程度に扱う。案外、それくらいしか身を守る方法はないのかもしれない。

 

 ではまた。

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM