何年ぶりかに「貧困なる精神by本多勝一」を読んでみた

  • 2018.04.01 Sunday
  • 09:45

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 背表紙には「貧困なる精神」ではなくサブタイトル。下部には「すずさわ書店」ではなく「金曜日」。時の流れを感じる。

 しかし、誰のだよ、このデムパゆんゆんの香ばしい本棚は。

 

デムパゆんゆん。芳しすぎる本棚。

 

 新旧のコラムが入り混じり、コンセプトが分からない。

 また、3部構成になっているけれど、最後の「III 人類減少風景の中で」収録の文章が、どうしてこの「くくり」なのかサッパリ分からない。なんか、作る側のやる気のなさが伝わってくるように思えた。

 

 メインタイトルになっている「人類の契約」は1978年の作品。いかにもホンカツな文章で面白かったが、気になるところもあった。

 知能が高い生き物殺すと残酷で、低い生き物を殺すと云々は納得。しかし『残酷の場合と同様に愛さえも種を超えうる(P.22)』は胡散臭い。シチメンチョウが♀のヒナを「自分の子」として認識するのは、その姿ではなく、ヒナのなく声であり、ヒナの大敵であるイタチの剥製にヒナの声の仕込んで近づけると、シチメンチョウは羽の下に迎え入れようとする云々と、人間を越えた超人が美女だったら、人間の男はその超人に恋する云々は、どう考えても別概念だ。

 だって、シチメンチョウ♂はイタチ♀にムラムラしないだろうが、人間のそっくりさんが人間に似ていればムラムラしてドピュッとする。親子の愛と性欲は異質だ。

 さらに、1〜4の考察と5とはどう結びつくのか、少し強引な気がする。『残酷も愛も、実は頼りのないものを基礎にしている(P.22)』から、ゆえに『人類は、人類を殺してはならぬ(P.23)』のような内容の『人類憲法」ともいうべき一つの最高契約を結(P.23)』んで遵守する必要がある。それは、人間が知能が高いからではなく、人間が人間だから殺してはならないと。このつながりに必然性があるのか。

 人間なんていい加減であてにならないから、人間を縛る最高法規が必要というわけか。しかし、あてにならない人間がそんな最高法規を作っても、守るはずがない。だいたい、その放棄を守らない「知能の低い人類」はどう「処罰」したら良いのか。さすがに殺すわけにはいかない(論理的矛盾)ので、施設に収容して「教育」するのだろう。そうやって、本多勝一さんがかつて礼賛したホーチミンさんは、85万人の自国民を殺害した。いや、本多勝一さんが批判したポル・ポトさんも自国民の1/3を殺した。

 今になって本多勝一を読んでもシラケるのは、21世紀が近づくにつれて、人類にとってもっとも殺人をリアルに感じるのは、ヒトラーさんでも帝国主義でもなく、共産主義であることがあまりに明白になったからであろう。共産主義こそが、まさに知能が優れた人間が知能が劣った人間を殺して殺して殺しまくったのは、もはや世界の常識。しかし、文章の説得力のなさの理由はそれだけでない気がする。

 強制力のない最高法規ごときで人間は殺人をやめるはずがない。人間は「憎い・許せない」からだけではなく、人間は理想に燃えて「自分が正しい」と信じるからこそ、「間違った思想を持つ下等な人間」を殺すのだ。殺人のない国は、みんな大麻すって酒飲んでダラーッとテレビを眺めてるような国だろう。

 『単に「人類」であること、それだけの理由によって、絶対に生きる権利がある(P.23)』。美しい理念だ。しかし、その美しい理念がいつも沢山の人間を殺してきたことを、ホモ・サピエンスは経験と歴史から学んでいる。共産主義のみならず、キリスト教もイスラム教も。

 

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